紅型工房での修業とは

紅型工房への弟子入り。
弟子入りしたら一体どんな風に過ごすの?

あまり知ることのない世界なだけに気になる方も多いでしょう。

私、戸谷が19歳、約20年前に弟子入りした時のことを少しお話します。
各工房により違いがありますので、あくまで一例として捉えてください。

ちなみに、戸谷についてはこちらに自己紹介しております。
良かったら、是非ご覧ください。

話が長くなりそうなので、先にまとめ

紅型工房での修業とは

・技術は自分で身につけるもの
・居させてもらうだけで有難い空間
・失敗も経験しながら
・師匠の仕事に対する姿勢を間近で見れる
・最終的には戦力になり少しでも工房に貢献できれば

技術は自分で身につけるもの

教室をやっている中で、本当によく聞かれる質問。
「先生はどうやって教えてもらったんですか?」

教室では全工程のコツを最初から教えてしまいます。

けれども当然ながら弟子入りでは教えてもらうというより、身につけるです。
基本的にはどこの工房でも先輩の技を見て目で覚え、それを自主練して身に着けることがほとんどではないかな、と思います。

紅型工房では、人手が欲しいのは「染めの工程」がほとんど。
そういった背景からも染め以外の工程は自分で実践して覚えることになります。

特に型彫りなどは自宅でやって訓練していつしか上達していきました。
あとは、先生の彫る手元の様子をジッと見たり(これはほどほどに、、、)
彫りクズを掃除しながら、彫り途中の型紙を見て勉強するというのもしました。
(その線の美しさに感動)

型置きでは、やはり先生の型置きをする様子をひたすら眺める(笑)
連続模様では、型紙を洗うタイミングがあるので、それを待ち受けつつ型置きの手つきを見て勉強させてもらいます。

でも型置きなどは実際のところ、やってみて初めて身につくので仕事時間外などに自主練させてもらうのが良いでしょう。

居させてもらうだけで有難い空間

弟子を募集していて入ったのならともかく、私の場合は自分から入れてくださいとムリにお願いして入ったので、
修業中は、いかに先生達の仕事の邪魔にならないようにするかに神経を配っていました。

邪魔になって追い出されてしまったらどうしよう、と19歳の私は思っていました。
実際はすぐにその心配はなくなり、とてもアットホームで温かく幸せな修業期間でしたけども!

そして、何百年続く伝統の技術を目の前で見ることができ、その美しさや圧倒的なデザインなどに触れることができる。
それだけでも吸収できることは多く、贅沢な空間でした。

できることから

私が修業させてもらった工房は、家族経営でした。

しばらくは、何もすることがありません。
それはそうです。
紅型に関する作業を何も知らないので、何も出来ないのです。

踊り衣装を先生達が染めているのを眺めたり、玄関を掃除をしてみたり、先生が彫った型紙のクズを綺麗にしたり、顔料が入っている器を洗ったりするくらいしか出来ません。

私の先生は、修業している期間に「アレをして、コレをして」と一切言いませんでした。
本当に一切です。
(着物や帯を染めるようになったのも、姉弟子が誘ってくれたからで先生に直接やってねとは言われませんでした)
なので、自分からやれることを探すことしかない。笑

「何かやることありますか?」と聞くことすら仕事の手を止めてしまうので、申し訳なくて。
とにかく、工房は仕事で溢れて大忙しでした。

失敗も経験しながら

そのうち、まずは土産物で練習ね、と言われていきなり土産物の額絵の染めをさせてくれました。

この時は、姉弟子から隈取りの筆の持ち方などを教えてもらったり、色作りを一緒にしたりしました。

しっかり刷り込まないと色が落ちるから、
と聞いてやってみたものの、塩梅が分かりません。

確か隈まで取らせてもらった後、蒸して、自分で水元までさせてもらいました。

すると、さっきまで赤く綺麗に染まっていたと思っていたハイビスカスの色が、水と共にどんどん流れていく、、、白地彫りの黒で染めた葉っぱも無くなっていく、、、

完全に失敗でした。

失敗しても、怒られることはありませんでした。
「あー、じゃあこれは工房で埃除けに使おうか」ということになったと思います。

『刷り込みをしないと色は落ちる』ということを身をもって経験したのでした。

まだあります。しかし、申し訳なくてここでは書きません。

そのような経験をさせて頂けたことは今となっては感謝しかありません。

師匠の仕事に対する姿勢を間近で見れる

紅型教室ではなく、工房にいることの最大のメリットはきっとこれです。
仕事への厳しさや、ポリシーなどを感じながら日々同じ空間で過ごすことができるのです。

私の先生は作品に対しては1㎜の妥協もできない人でした。
踊り衣装が地染めまで済んでブルーの地色に華やかに模様が染まっているのに、
もう一度最初から染め直すと言う。私にはどこが悪いのかわかりません。
品質に対しては人一倍厳しいものがありました。

そのような性格だったので納期は大変だったと思いますが、問屋さんからの信頼が厚く
私はよく来客された方から、「先生のところで学べて幸運だね」と言われていました。

そして誰よりも働いていました。
夜中3時までやっていて、また朝9時には工房にいる。
それなのにいつも元気で、息子さんが学校から帰ってこられたら、高々と持ちげて遊んであげることもありました。

長年積み上げてきた人にしか出せない、線や染め、そういったものがあることを間近で見れたことは今も財産です。

最終的には戦力になり少しでも工房に貢献できれば

少し慣れてくると、簡単な部分から帯の染めをやってみようかと姉弟子に筆と器を渡されました。
確か着物の柄の梅のつぼみの黄色部分が初めてだったと思います。
一色、一色、緊張しながら染めていったことを覚えています。
だんだん慣れてくると、帯や着物を朝から夕方まで先生や奥様、姉弟子と一緒に染められるようになりました。

後は工房の役に立てるようになりたいと、毎日染める日々です。
わずかでも戦力になっているかなと思うと少し自分にも自信がついてきます。
一番濃色の藍色は染める量が多いことがよくあり、着物では3人で分担しても一日ががりで二度刷りを行います。
そんな時は、ひそかに姉弟子と競争し、どっちが早く進められるか、などと思いながら染めていました。
昼休みの13時になるのが待ち遠しく、そこを目標に頑張ったりしていました。

そうして、一日を過ごし約二年近くいさせてもらいました。

休みの日の過ごし方

おまけですが、これは気になる方もいるかなと思い書き残しておきます。
月曜から土曜まで染めをしたら、日曜日はどこかに行く元気もありません。
ふらっとTUTAYAに歩いていったみたりしても、とくに借りたいものもなくまた一人で家に戻り食事してお風呂に入って寝るだけ、といった感じでした。
たまに姉弟子が遊びに連れていってくれる以外はほぼ家にこもっていました。
友だちもおらず当時はスマホもなく、すべてが紅型一色でした。
懐かしいです。

私の修業期間は今にして思えば、とても短いものでした。
けれども凝縮した時間を過ごさせてもらえたこと、今でも先生と工房には感謝の念でいっぱいです。

弟子入りについて、一部分ですがご紹介しました。
伝統工芸の世界もどんどん変わっていっていると思います。
今ではまた違うのかもしれませんが、参考になれば幸いです。


《紅型工房について》
以前は首里周辺に集まっていた工房は、現在は沖縄本島全土、離島に至るまで各地で拠点を構え活動しています。
そして、工房チリントゥのような沖縄以外でも活動する工房もうまれています。

■沖縄には組合があり、HPでは紅型工房についての紹介もあります。
琉球びんがた事業協同組合


《沖縄で紅型が常設展示されている場所》

注)必ずしも展示を保証するものではありませんので来館前にご確認ください。


《参考文献》

  • 「マンガ 沖縄・琉球の歴史」上里隆史(著) /河出書房新社
  • 「すぐわかる沖縄の美術」宮城 篤正 (監修) /東京美術

『チリントゥの紅型辞典』は大阪の紅型 工房チリントゥが独自に制作しているものです。
この記事についてのお問い合わせは下記HPへ